実在の人物、弱小貧乏球団オークランド・アスレチックスのGM(ゼネラルマネージャー)を務める、ビリー・ビーン。
彼がいかにしてアスレチックスを常勝軍団にしていったのかを描いた作品である。
『マネーボール』(2011)
あらすじ
主演ブラッド・ピット。彼が演じる主人公ビリービーンはかつてニューヨーク・メッツからドラフト1位で指名されたエリートでしたが、思うように活躍できずに27歳で引退。その後、オークランド・アスレチックスのゼネラルマネージャーとなります。少ない資金でチームを勝たせるために野球に統計学を利用します。
2001年10月、アスレチックスはディビジョンシリーズでニューヨーク・ヤンキースに敗れてしまうところから物語はスタートします。
ヤンキースは資金がたっぷりある、アスレチックスとは対照的なチーム。その後、アスレチックスは主力選手である3人をヤンキースに引き抜かれてしまいます。抜けてしまった選手の穴を埋めようとビリーは補強のため、他チームの選手に話をしにいきますが、上手くいかず・・・。
そんな中、1人の男と出会います。名はピーター。イェール大学の経済学部出身で野球経験は無し、セイバーメトリクスという統計手法を使ってチームを勝たせる方法を実践してることを知ります。ビリーやスカウトたちは来季に向けて戦力の補強について話し合いますが、スカウトたちは、固定概念に縛られ経験や勘に頼った選考しかできず、ビリーとスカウトたちとの間には大きな考え方の溝ができてしまい・・・・。
統計学(セイバーメトリクス)
この統計学的アプローチは「セイバーメトリクス」と呼ばれ、野球ライターのビル・ジェイムズが1970年代に提唱したもの。さまざまな統計から選手を客観的に評価する。従来であれば、打者は打率や打点などで評価されてきたが、点を取るためには、まずは出塁しなければいけないと、出塁率を重要視してるのが大きな違いだ。
ビリーはこれまでの基準と違う目線で選手を評価することで、他チームからは評価の低い選手を安価で獲得することができた。
競争社会で生き残るには、物事を新たな視点からみることが必要だと教えてくれる。
野球というのは、数字で評価される世界だから十分活かしきれたのだろう。野球だけじゃなく、経済、理学、工学等、多くの分野で使用され、学んだ人たちも多いだろうに私たちの暮らしに十分活かされてるかは疑問だ。日常の判断に統計的手法を使っている人はほぼ皆無だろう。
よく言う血液型で性格がわかると考えてる人は、それを立証するデータを目にしたことがあるのだろうか?おそらく無いはずだ。
奴らはバカなのか?それとも、統計的な裏付けがあるのか?
改革
本作品はノンフィクションである。ビリービーンが行ったことはこうである。勝利を最終目標とし、そのために色々と考え、データ分析に長けた人物の助言を聞き「出塁率」を勝利へと導く中間目標とした。これが「マネーボール理論」だ。これは野球の今までの常識とは違うため、大きな軋轢を生む。ビリーが新たなやり方に反発するスカウトたちをその場で解雇したり(その数25名)、戦力外やトレード対象となった選手にビジネスライクな通達をしたり。しかし、長い苦悩の末にチームは勝ち続けていく・・・。
経営の改革とはこのようなものである。ジリ貧の組織は今までどうりなのはダメで、今までと違ったことを実行するのが大事である。
逆に言えば、新しいことを受け入れなければならない。しかし、改革しようとすると本作品のように大きな軋轢が生じる。本作のビリーはマネジメントの基本もちゃんと抑えている。リーダー(ビリー)がチームの目標を掲げ、メンバー全員にみずからの言葉で実践する。新たに採用した方式の狙いや効果をメンバー一人一人に説明し、リーダーの考えを浸透させる。チームの輪を乱す者は、容赦なく退場。こういったマネジメントを実践することでチームは変わっていくのだが、統計的な裏付けがあってこそだ。まぁ野球は数字にしやすい分野だろう。1個人の活躍も測定しやすい。ただ、一般企業においては難しい。個々の人間の成果として判別できるのはごく一部の職種だけだからだ。ほぼ100%といっていいが、成果とはみんなが関わりあった結果であって環境から独立した一個人ではない。
そんな中で、無理やり従業員に序列をつけたり(リーダーの好み)、それによって報酬額も大きく変動させたりしている会社も多い。
そんなアホでは、個人個人の人間の尊厳を奪い、創造力を枯渇させ、長期に渡る質、生産性の向上に結びつかない。
あなたのリーダーは アホか? 優秀か?
終わりに
本作のビリーは自己中のようにみえるかも知れないが、だれよりもチームの勝利を願っている男だ。
我々のチームもいろんな人の生きる力が集まってできている。それが会社であり、社会だ。誰の生にも尊厳があり、誇りがあるように、誰の仕事にも尊厳があり、誇りがある。己だけよければいい、富が、金がすべてという発想は下衆で、卑しいのだ。本物の仕事というのは、己以外の誰かのために存在しているのだ。
新しいことをするときに失敗を恐れて慎重になりすぎるのはいけない。成功確率を一定とするなら、数多くの手数があるほうが大事だから。